緩和ケア
緩和ケア病棟 日向(ひなた)
爽やかな風が香り、松籟が目に映る小高い丘にある日向です。私たちが、温かい心で、包み込むようなやさしい看護で、あなたの大切な時間を守っていきます。ゆっくりとお過ごしください。
ご挨拶
初めまして。西福岡病院緩和ケア病棟“日向”に勤務することになりました医師の森永真史と申します。今後当院において友岡眞樹とともに緩和医療を担当することになりました。このホームページをご覧になられている方は、ご自身が癌という病を告知された方、現在手術あるいは化学療法、あるいは免疫療法などで実際に治療を受けておられる方かもしれません。また、ご家族が癌に罹病され、その方と一緒に病気と対峙されている方かもしれません。21世紀も20年経過しました。この時のうつろいの中で癌という病気は少しずつわかってきたことが増えてきました。敗戦後(終戦後)の日本人の平均寿命は50−60歳でした。それがあらゆる分野の学問の進歩、診断機器などの開発、治療法の確立により、寿命は目に見える形で伸びてきました。そのような中で是非お伝えしたいことがあります。
わたしたちの体の中で色々な場所の細胞は複製という工程を経て、古いものは捨てて、新しい細胞を生み出しています。その複製という工程、つまりコピーの生産は多くの出来損ないを生み出すようです。そのままでは人間のからだはどんどん傷んだ細胞だらけになります。われわれのからだはそうならないように対応しています。つまり、1日に4000個から5000個できてくると言われるがん細胞を亡きものにする修復メカニズムが備わっているのです。ですから、よほど若いうちに偏った生活をしていなければ、40~50歳代で癌を罹患することは稀のようです。しかしながら、このがん細胞を亡きものにするメカニズムは65歳くらいまでは働いてくれるのですが、それ以降は働きをやめていくそうです。そして70歳に近づいてくると人間は誰しも一つ目の癌に冒されるそうです。癌ができるということは自然の摂理と考えて良いようです。さらに80歳代で二つ目の癌ができる。これらの過程はどうやら細胞の老化現象のひとつと考えて良さそうなのです。
わたしが医師になったのは昭和61年。まだ癌の病名告知はほとんどなされていない時代でした。大学病院では、肺癌はかび、つまり肺真菌症と言って嘘をついて手術をしていました。かの国立がんセンター、癌研付属病院という癌の専門病院でも癌の告知が躊躇されていた時代でした。
しかし2022年になった現在、患者さんとご家族に対して正確な病名をお伝えする、すなわち告知という医療行為はごく自然な形で行われていると思います。誰しも最初に「あなたは癌なのです。」と言われて動揺しない人はいません。しかしこの30年ないし40年の時を経て、ご自分のからだの老化現象の一つである癌は、ご本人、ご家族にとって嫌なものですが、昔のように憎むべき相手とはならなくなってきたように思います。癌という難敵と一緒に生活、共存、共生していく時代になってきたと思っております。がんに対する医学的なアプローチは非常に多くなりました。つまり付き合っていく選択肢が増えたということです。切除を前提とする外科的手術、放射線治療も一般的な治療から重粒子線治療などたくさんの武器が誕生しました。そして進行して発見された場合にも、抗がん剤治療、分子標的治療薬による治療、免疫チェックポイント阻害薬による治療などなど、極めて豊富な治療方法が生まれてきて、実践で使用されています。
そして、このページを読んでいただいている方についてお話しさせていただくとすれば、癌との共生を図る治療の一つとして、「緩和ケア」という治療があります。癌というと、癌と聞くと「何とか根絶やしにしないといけない」「抹消しないといけない」と、つい考えてしまいがちになる。そのような癌を攻撃するような治療とは異なり、癌の成長は致し方ない、ブレーキをかけるのではなくて癌が成長することで出てきた新しい症状を和らげるという、少し控えめな治療を提供するのが緩和ケアという治療だと思っていただければ良いかと思います。
癌をダイレクトに攻撃するということは、少なからずご自身のからだのあちこちにひずみ、ゆがみを作ってしまいます。若いうちであれば、手術による痛み、生活範囲の縮小化、抗がん剤による副作用など治療によって発生した辛い症状も、気力や体力で乗り切ることができたと思います。しかしながら70歳を超えて、ご自分でもうっすらと感じる人生のゴールが近づいてきた時、ご自身のおからだにダメージを与えるとそこからの回復が相当困難になってしまいます。癌という嬉しくないご自分のからだの同居人と何とか折り合いをつけて、うまくつきあっていっていただく。その伴走者としてわたしたちがいると認識していただきたい。
わたしたちは緩和ケアという治療を提供するためにたくさんの部署の人間が大きなチームを作っています。患者さんであるあなたの周りを取り囲むように、看護師、薬剤師、栄養士、リハビリテーションのスタッフ、地域連携を図るスタッフ、患者さんのサービスとして何が適切かを考えてくれるクラークさんたちなどなど、多職種のメンバーが患者さんのこれからを支えていきたいと思っております。
がんに対して積極的に攻撃をしたいと思われている方もおられると思います。積極的な治療は大学病院や医療センターなどで行っていただきながら、その途上で湧き上がってきた心配事、悩み事を別の職種の人に尋ねたい、あるいは別の角度から評価して欲しいと思われた時、当院の緩和ケアのメンバーに気軽に声をかけていただきたいと思っております。いつでも、どの時点でも伴走者として患者さんと御家族を支えていきたいと思っております。
どうぞ、気軽にお話しにおいでください。我々のチームの誰かに心の中に溜まったことを言うことで、誰かに聞いてもらうことで、きっと心の重しが、もやもやが軽くなっていくことと思います。
われわれは、皆さんの治療に対して、おせっかいでいこうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
西福岡病院 緩和ケア科 森永真史(医長)、友岡眞樹
日向の由来
当法人の南5kmほどのところに日向峠があります。 峠を中心に、東側には吉武高木遺跡を始めとして 多くの古墳群が存在しております。西側の麓には、「魏志倭人伝」に登場する伊都の国があったと伝えられており、その中心は、現在の前原市と考えられています。そこには国宝に指定された内行花文鏡を出土した平原遺跡の他、細石神社や八竜の森 など日向三代神話にゆかりのある場所が多く存在しています。そのため古事記や日本書紀に登場する天孫降臨の地「筑紫の日向」は、日向峠や日向 川の名が残るこの一帯であると考えられています。当法人は、まさに悠久の歴史の里に位置しており、緩和医療病棟を「日向」と名付けました。私たちは、この古を思いつつ『陽のあたる場所』として患者様をあたたかくお迎えしたいと考えております。
病棟紹介
緩和ケア病棟は、あなたの病気がもたらす精神的 そして肉体的苦痛を限りなく和らげる施設です。医師、看護師、栄養士、薬剤師、リハビリ、ソーシャルワーカーと ボランティアがあなたとご家族のひとときを支援いたします。
緩和ケア病棟のお部屋は、すべて個室(15床)です。 また、談話室や屋上からは松籟や玄界灘を一望でき、心地よい 風が吹き込んできます。
談話室 |
病室 |
屋上からの風景 |
屋上からの風景 |